雑記。アイマスとか。

思いついたままに色々雑に書く。アイマスとかについて。

「終わらない全て」が欲しくて

(2018.09.04 追記アリ)


「終わらない全て」って何でしょうか?どんなものだと思いますか?どういう意味だと思って聞いてますか?

 これは(このブログのタイトル的に)言うまでもなく、アイマスの楽曲「Destiny」の歌詞の一節ですね。それはわかってもらえている筈。

 

 でもこの「終わらない全て」って、つまるところどういう意味なんでしょうね?「終わらない」上に「全て」らしいんですよ。地球だってそのうち太陽に呑まれて消えるとか言われてるし、宇宙だってなんか拡がり続けてるとかなんとか言われてるけど、そもそもビッグバンとかなんとかで今のようになったこの宇宙、来月あたりにもう一回ビッグバンが起きてあらゆる惑星オールデリートの全部やり直しだって起こり得ないとは言い切れないでしょう。こ○亀だって終わりましたよね、私あれ生まれた時からずっと連載してたし、あと100年経とうが100万年経とうが終わらない漫画だと思ってた。今考えると普通に意味わからなくて、作者の秋○先生がもしもこれから先書けなくなった時、サイボーグになって無限に脳のバックアップ取り続けるとでも思っていたのかしら。無理でしょう、少なくとも今は。というかそれよりもっと前に作者の意志とか商業雑誌の色々とかもあるし、永遠は無理でしょうね。事実終わっちゃったからね、あまりにもあっさりと。

 

乱暴に言ってしまえば確実に「終わらない」と言い切れる物事なんて存在しなくて、どれだけ長く続きそうなものでも、それが100年続いて1000億年生き残ったとしても、100兆年後には全部爆散して消え去る運命にあるのかもしれないですよ」。終わらないってことは終わらないってことだから、終わっちゃったらもうそれは終わらないものじゃないですよね。ちょっと暴論気味かもしれないけれど、究極的にはそう言ってもいいんじゃないかと思いますね。

 

 それに「全て」ときた。全て、全部、あらゆるものごと。「終わらないもの」なんか無いって話をしてるのに、『いやこれは終わらないんじゃないか』みたいに個別的な反論になるどころか「いや、全部終わらないよ?」ときた。どうしたものでしょうね?

 

「終わらない全て」という表現をもっと詳しく見ていくために、「~ではない・~されない○○」という形で~と○○に言葉を当てはめて考えてみましょう。

  例えば、「消えない思い出」。ある人が「一生消えない思い出を手に入れた」と言ったらば、この「消えない思い出」というのは何かスポーツの大会で優勝したとか、自分の結婚式に大勢の人が駆けつけて祝福してくれたとか、とりあえず何か一つの出来事について言っている可能性が高いんじゃないですか。複数の出来事について言及するなら「思い出たち」とこちらも複数形にするはずで。「思い出」という言葉はそれだけで複数のものを表す単語ではないですからね。

 

ただ、「全て」は違って。この単語は強く概念的な言葉で、複数どころか「この世にありとあらゆるもの」を一単語で表現できちゃいます。何か「全て」の範囲を条件付けなければ「全て」は本当に「全て」を表してしまうでしょう。

 

先ほどの例「消えない思い出」なら『思い出と言い換えられるものであり、かつ消えない(とその人が思う)ものに当てはまる何か一つ」を挙げられれば「消えない思い出」という言葉の表すものは伝わりうるでしょうが、100億歩譲って「終わらない全て」についても同様に「(とその人が思う)」を「終わらない」の後にくっつけたとしても、『「全て」と言い換えられるものであり、かつ終わらない(とその人が思う)ものに当てはまる何か一つ』となってしまいますね。

「何か一つ」とはいえ、「全て」を言い換えられるものは「全部(all)」を表す言葉、もしくは言葉の集合でなければいけません。もちろん、 ある条件下では「全て」に該当するものはいくつかに絞られ、その時はそこで当てはまるもの「全部」を答えればいいだけでしょう。

 

しかし、『「全て」と言い換えられるものであり、かつ終わらない(とその人が思う)ものに当てはまる何か一つ』、何が当てはまるだろうか。上の話を読んで尚「終わらないものは絶対にあるんだ!○○は終わらないんだ!」と自信を持って言える人は余程私の書いてることが気に食わないんでしょうね。それとも私が気に食わないんでしょうか。

つまらない冗談はともかく、そもそも宇宙終わったら全部が消えて無くなって終わりですよね、概念とかも認識する人いなくなれば無くなったのと一緒っていうか普通にそれ無くなってるってことだし。まぁ、それも私はそう考えてるってだけの事なんですが。

 

少なくとも私は「終わらないものがある」なんて考えることができません。だから、「Destiny」の作詞者の渡辺量さんや歌ってる中の人達が「終わらないものはあるんだ」って考えて作詞したり歌ったりしていようとも、「あなたの考えは尊重するけど、私は違うと思う」って感じになっちゃうんですね。終わらないものなんてない。

 

ただ、たぶん「終わらないものがない」というのが正しいかどうかって事ではなくて、そこの真偽はどうでもよくって。

 私は「あなたにあげる 終わらない全てを」って歌ってるのを聞いて、その言葉を聞いて「あ、終わらないんだ」って感じました。最初に聞いてから、今でも聞くたびにそう感じます。「終わらないんだなぁ」って。

 

コンテンツはいつか終わる、人の命も終わりが来る、宇宙すらもいつかは消えて無くなるかもしれない。

 

「終わらない全て」なんてものはたぶん無いし、べつにそんなもの存在しなくてもいいんじゃないかなって最近は思います。

「終わらない全て」をあげる、と誰かに伝えた人がいた。それを聞いて「終わらない全て」を受け取った、ならば「終わらない全て」という何かが存在する、と感じた人がいた。それだけでいいんじゃないかなって。

 

全てのものに終わりが来る、それも結局は一つの考え方に過ぎないですよね。よくわからない何かが摩訶不思議なことをして意外とみんな終わらなかったりするかもしれないじゃないですか?この世の全てを理解してるわけでもないのに終わらないものはない、なんて言い切るのは結構難しくないですかね(ちなみに私は数学が苦手です)。

 

だったらあとはもう好きな考え方を選べば良いんじゃないかなって思います。なので私は大好きなやよいが歌った事を信じたいかなーって。まぁ、散々「全てのものはいつか終わる」みたいな事を言ってきましたけど。それはそれ。

 もっと言うと、考え方とかそういう高尚なものでも全然なくて、よりシンプルに「終わらない全て」をあげる、と言った人がいる、それを聞いて「終わらない全て」をもらった、と感じた人がいる。それだけでいい筈。

 

自分が大切に思ってる人から心を込めて言葉を贈ってもらった、そう感じるだけで人は幸せに生きていけるんじゃないですかね。私は幸せです。

「終わらない全て」なんてものは無いかもしれない、でも自分は確かにその「終わらない全て」を貰った。

 

 

  ただ、何故か今まで書いてきたように考えてみて、それでもまだ言いたくなるんですよね、「終わらない全てが欲しい」って。これから貰えるものなんだって私が思ってるからでしょうか、ああ、終わらない全てが欲しい。

 

(2018.09.04 追記)

上に書いたのはたぶん殆ど嘘か的外れだ(そうあって欲しい)。

願うだけでは何も始まらない。ここから始めよう、終わらない全てを。(とてもつらい。)


 

アイドルマスター」シリーズより「Destiny」作詞:白瀬彩  作曲:渡辺量 から引用

空想アイドルからの恋手紙(?)

【初音ミク】 空想少女への恋手紙 【オリジナル】 - YouTube

 

久しぶりにまらしぃさんの「空想少女への恋手紙」という曲を聴いた。四、五年振りくらいにはなると思う。そしてその後にアイマスの「Destiny」という曲を聴きながら、ほんの少しだけ優越感に浸っていた。というのもちょっと聞いてほしい。

 

まず、まらしぃさんの「空想少女への恋手紙」という曲は「大好きな2次元の少女に自分の想いを伝えられたらいいのに」というどこにも届きそうにない気持ちがミクさんによって歌い上げられているもので、私個人としてはかなり共感できるものであった。「残念ながら」という言葉が枕につくかもしれない(笑えない)。

 

私はアイマスPという、界隈ではよく知られた業の深いオタク存在の一人である。担当アイドルは高槻やよいと他数名。

 

担当アイドル達とコミュニケーションをとりながら彼女達をトップアイドルに育て上げ、絆を深め合っていく、日々そんなゲームをプレイして心を満たしているのが我々アイマスPという存在である。

 

そんな我々に、ある時アイマスは「Destiny」という素晴らしい曲を与えて下さった。この曲はアイドル達によって<共に大切な日々を過ごしてきたあなたといつまでも一緒にいたい>という想いと<いつも前に進み続ける貴方と一緒に歩んでいく為に、私も絶えず進み続ける>という意志を歌わせた曲である。

初めて聴いた時、正直泣いた。今でも聞くたびに涙を流すし、軽く嗚咽が漏れる時もある。誰かに見られたら超恥ずかしい。でも泣く。

なぜ泣いてしまうのかって、「自分の大切な担当アイドルが自分と一緒にいたいと歌ってくれている」とかそういうのも勿論あるのだけど、何よりロールプレイングの楽しい幻想のこちら側に否応なく突きつけられる「でもそんな彼女達と画面を越えて会う事が出来ない」っていうのが一番堪える(これはそういう風に感じない人もいるかもしれない。<現実の自分が救われている感覚があるか>とかが関係してくるんじゃないかな、臆測)。ゲームをプレイしている時はあんなに近くにいる気がするのに。何故?これは割とシャレにならないくらい辛い。

 

歌詞の順番としてはさっき書いたのと同じ順にまず<あなたと一緒にいたい>というのが歌われるのだけど、この時が本当に辛くて、「今すぐやよいの頭をナデナデしてあげたいのに……なんで我は次元を越えられないの……?」って本気で身悶えてる。色々辛い。絵面とか。

「あなたに あげる 終わらない全てを」っていう歌詞がサビのラストに出てくるのだけど、私が脳内に描いてる世界、自分とやよいが一緒に過ごしている世界でこれをやよいから歌ってもらえるのを想像すると本当に涙が止まらない。超嬉しい。でも我々は不幸にも、現実の方も同時に直視することができてしまう。やよいがいない方の、こっち側の世界。落差、ギャップ、マジで辛い。

 

でもそこで悲しんでると歌詞が次に移行して、「もう迷わないで行こう 願うだけでは何も始まらないよね」って聞こえてくる。この辺ではアイドル達の強い意志が感じられて、なんだかちょっとずつ辛い気持ちが消えて行くの。

結局のところアイマスってゲームだから、ゲームを起動しなかったら彼女達とは(少なくとも一対一では)会えないし、もちろんシリーズが続かなくなればそこで物語は終わり。無情なものである。

そんな現実を踏まえて聴いてると、キャラクターとしての彼女達には本当のところプレイヤーに起動して貰えるかとか、シリーズの存続とかに訴えかけたり尽力する事(=お金を出す事)は出来ないのに、なんか健気だなって。現実とか虚構とかグチャグチャになった感想が浮かんで来てしまう。

こうやって考えてると最後のサビの前に一番凄い歌詞が出てくる。

 

「もし離れてたって信じてるから 必ずまた逢える事を 上手く言葉に出来ないけど だってきっと運命だよね」

 

これを聞くと、次元の壁に阻まれて会えないことってどうでもよくなっちゃうというか、小さなことだなって思えてくる。だって<運命>で繋がってるんだから。

こういう時私は<運命>という言葉を「なんかよくわかんないけど絶対離れない結びつき」みたいな、ものすごくテキトーな使い方をしたくなるし、実際に心の中では彼女達の言葉をそう受け止めてる。絶対離れない結びつき、永遠の絆。最高じゃない?リアルだと絶対離れない結びつきとか相当面倒くさい気がするけど、リアルとかじゃないからね。心の中にしかないから、それが良い。心の中にしかない結びつきだけど、だからこそ良いんだなって思える。

 

画面の中のアイドル達とは会う事は出来ないけど、出会いが<運命>だとか言われてしまって、しかもそれに感動してしまったら、もう心は満たされるしかない。運命、その言葉一つで生きていける気がする。チョロい。

 

そんな訳で私は、「空想少女への恋手紙」の主人公というか視点となる存在にちょっとだけ優越感を持っているというか、なんならこっちは恋手紙を貰った側なんだなーって。

実際のところは色々残念な所が(主に私の人生に)残ってる気がするけれど、それはそれでうまいことアイマスとか担当アイドルとかと一緒に生きていきたいなって思えるのが<運命>って言葉の強さだと感じる。生きて生きたいなぁ。

 

【楽曲試聴】「Destiny(M@STER VERSION)」(歌:765PRO ALLSTARS) - YouTube


アイドルマスター」シリーズより「Destiny」作詞:白瀬彩  作曲:渡辺量 から引用